歴史人文

  • 古代先人 山に依して住む
    皋亭山南西部(今の半山町)の水田畈遺跡は、1950年代末に2回の発掘によって以下のことが明らかになった。四、五千年前の新石器時代に、杭州の先住民たちはこの中で半穴居の状態で分散して住んでおり、原始的な農業と漁業に従事し、水上交通を幅広く采用したらしい。

  • 皋亭諸山 文を以て名を挙げる
    南宋の時代、皋亭山の南西部の中腹に雲錦亭が建てられた。宋の寧宗皇帝の御書である「皋亭山」の扁額が亭の中にかかっている。黄鶴山は、仙人の王子安が鶴に乗り、この山を通った伝説があるため、このような名が付けられた。黄鶴峰は明の時代に、礼部尚書の朱国禎が『湧幢小品』に「峰の下に、周老人が老君の石像を得て、突然空へ飛び去り、その時、ちょうど松の花が咲き、鶴の群れが飛びかえり、花と鶴とも黄色くなって、黄鶴峰と名付けた」と書いた。昔に黄鶴山に黄鶴楼があり、黄鶴山楼とも呼ばれる。黄鶴公は「仙姑」と呼ばれる娘がいて、山の北の頂点に居間を築いたと伝えられる。桐扣山は歴史資料によれば、東晋の孝武帝の時代、山岸が崩落して石が出て、鼓を打っても音がなかった。張華に聞いた。張華曰く、蜀の桐をとり、魚の形をとってたたくと鳴る。その言葉通り打つと、音が数里まで届くから、「桐扣山」と名付けられた。

  • 上塘運河 源は遠く、流れは長い
    皋亭山の南に上塘河(古運河)が流れている。最初に掘った歴史は春秋時代までにさかのぼり、杭州市において歴史書に記載された初の人工水路である。秦の始皇帝が上塘河を経て杭州に入る時、皋亭山の前にある阼湖(詔息湖)に暫く滞在した後に銭塘(今の杭州)に到着し、銭塘江を渡って会稽に大禹を祭りに行った。南宋の朝廷は、当時最も重要な漕路として臨安(今の杭州)の上塘河から鎮江までの運河を取り上げていた。「臨安から京口(鎮江)まで、遠くて千里があり、船の多く、郵便が途切れなく往来し、漕運の輸送、軍事情報の通達はこの途を経ぬものはない。元の時代に、上塘河の赤岸段は驛道または官道である」と当時の人にそう書いた。赤岸駅に船があり、マルコ・ポーロが上塘河を経て世界で最も豪華な都市ーー行在(南宋の臨安、今の杭州)に到着した。

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